11ヶ月女児
疾患 | 胆道閉鎖症 |
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今目の前には真っ白に生まれ変わり、元気に遊んでいる我が子がいます。2ヶ月前にはとても考えられなかった光景です。
移植が決まった時、まだ7ヶ月でした。体重は5kgちょっとしかなく、こんな小さい子に移植手術ができるのか、とても不安でした。けど、移植しか助かる道がないのなら、信じて進むしかありません。
入院した時は、ちょうどこどもの患者さんがおらず、先が全くみえない状態でした。外来にきた患者さんを紹介していただき、元気なこどもの姿を見た時は、ただ涙で、いつか娘もあんなふうになれたらいいな、と願うばかりでした。
手術は予定どおり行われました。そして術後はなんの問題もなく、今日まで過ごしてこれました。こどもって、親が思っているよりずっと強いものですね。あんな長時間の手術を、良くがんばってくれたと思います。
ICUで初めて目を開けてくれた時のことや、ほそーい、ほそーい声で一生懸命泣いていた時のことを思い出すと、今でも涙が出てきます。今まで痛いことや辛い思いばかりさせてしまったけど、これからは楽しいこともたくさんしてあげたいと思いました。
こどもに付き添った私は、一緒の入院患者さんたちとのおしゃべりや、看護婦さんたちの励ましで、長い入院生活をのりきることができました。落ち込んでいる時、いつも笑顔で優しく接してくれた看護婦の皆さんには、どんなにか助けられたことが…。いろいろありがとうございました。
最後になりましたが、手術をしてくださった移植の先生方、まだ小さい命を助けてくださってありがとうございました。
血管からの採血や点滴はとても大変だったことでしょう。いつも弱気な母親の心配事にも親切にお答えくださってありがとうございました。これからもいろいろお世話になりますが、よろしくお願いします。助けていただいた命を大切にして、これからは家族みんなで、元気に過ごしていきたいと思います。
– 退院時記録(母 代筆)より –
1歳女児
ドナー | 父親 |
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疾患 | 先天性胆道閉鎖症 |
娘が生まれて1週間、「先天性胆道閉鎖症」と診断された時は、「何で自分の子だけが…」という気持ちでいっぱいでした。そして、最終的には肝移植をする以外助かる道は無いと聞いた時は、間違いであってほしいと、とても信じる気持ちにはなれませんでした。そんな中、病気は着々と進行し2001年2月には移植が決まってしまいました。
手術が決まってからは、クヨクヨしていても仕方がないという事で気持ちを切り換え、手術にのぞみました。手術までの道のりもスムーズには行かず、入院中に吐血・下血・絶食があり、前日には、38度6分の高熱を出したり、ヒヤヒヤの連続でした。
手術当日は、8時30分に父親と一緒に手術室へ入室。夜9時30分にはICUでスヤスヤと眠っている娘に会えた時には、何とも言えない気持ちでした。ホッとしたのもつかの間、5日目に動脈がつまり再手術。そして、肝機能の急上昇のため2回の肝生検。突然の嘔吐。FKの副作用による免疫抑制剤の変更。退院までには色々な事がありました。
先生方には「ただの手術じゃないんだから、色々な事があって当然。こんな事で負けてちゃダメだ」と励まされました。看護婦さんには明るい笑顔で。草深さんには悩み事を。そして移植された患者さんには色々な事を教わりました。娘がここまでこられたのは、自分達の力だけではなく、皆さんの協力によるものだと実感させられました。皆さん、本当にありがとうございました。これから先、心配はたくさんありますが、今のこの気持ちを忘れずに乗り切っていきたいと思います。
– 退院時記録 (母代筆) より –
2001/6/19
1歳女児
ドナー | 父親 |
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疾患 | 胆道閉鎖症 |
娘は胆道閉鎖症という病気で、1才1ヶ月で父をドナーとして移植手術を受けました。移植直前の状態は、元気で食欲旺盛。でも、病気のせいですごく小さい。お腹が大きく、手足が細い。今移殖をしないと成長していかないし病気もよくならない、ということで、移殖に踏み切ったのですが、やはり「生存率が…」というお話をきいていたので、すごく不安でした。
術後1週間位は順調でしたが、その後肝機能が1,400を越えてしまって、もしかしたらダメかもしれないと、ここでもすごく不安になりましたが、治療していただき、数値も下がり、あとは順調に回復していき、もうすぐ退院となりました。
これからは普通に生活できるなんて夢の様です。今まではほとんど入院生活で、辛いことばかり味あわせていましたが、これから体がよくなったら、楽しい所にいっぱい連れて行ってあげたいです。病気で生まれてしまって、これからも辛い想いをさせるけれど、家族で温かく見守っていけたらと思います。
最後に、先生、治療して元気にして下さってありがとうございます。草深さん、ちょっとしたことでも丁寧に答えて下さって、ありがとうございます。看護婦さん、親切にそしてかわいがって下さってありがとうございます。お父さん、健康な肝臓を、ありがとう。
みなさんに支えてもらえてここまでこられました。
– 退院時記録 (母代筆) より –
入院 2002年3月
退院 2002年7月
3歳女児
ドナー | 父親 |
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疾患 | 先天性門脈欠損 |
私の娘は、先天性門脈欠損で、父親がドナーとなり、生体肝移植を受けました。
娘のような先天的な内臓奇形は世界的にも症例数が少なく、生後1ヶ月で診断がついた時には医師からいつまで生きられるかわからないと言われ、唯一の治療法が肝移植ということでした。幸いにも、3才までは多少検査値が正常値より高い程度で、外見的には健康な子どもとほとんど変わらず成長してくれたので、親としては、もしかしたらこのまま移植をしなくても大丈夫ではないかという気持ちがどこかにありました。しかし3才を過ぎた頃から、肝臓の代謝の問題からおこる低血糖発作を繰り返すようになり、けいれん発作まで起き、そろそろ移植に踏み切る時期ということで、生体肝移植を受けることになりました。
私達には、初めに肝移植と言われてから3年半という期間(時間)があったので、いろいろな面で準備する時間があり、生後8ヶ月で初めて信大を受診してから移植に至るまで川崎教授や橋倉先生に相談にのっていただきながら、心の準備もでき手術に臨みました。
心の準備はできていたとはいえ、移植後のことを考えると次々から不安は出てくるもので、薬嫌いな娘が何種類もある薬をきちんと内服してくれるだろうか、手術後いつ頃から外出できるようになるのか等心配がいろいろありましたが、草深さんや病棟担当の薬剤師の寺元さんに相談する事で一つ一つ解決していきました。
今までの入院生活を振り返ってみて、付き添いの私自身が一番辛かったのは、手術後1週間が過ぎ、娘がICUから病室の個室に戻った時期でした。その頃は、入院から1ヶ月近くになり疲れが出始めていました。日中は、いろいろな管がついていても気にせず動き回る娘に気を配り、夜は、創の痛みや食後のお腹が張ることでの痛みバンソウコウの痛み等を訴えて時折目を覚ますので、付き添いの私自身も熟睡できず、一日でもいいからぐっすり眠りたいと思う毎日でした。
精神的に一番辛かったのは、手術後約1ヶ月経つ頃、拒絶反応で肝機能が上がっている時期でした。確定診断をつけるために肝生検をやるのですが、子どもの場合全身麻酔をかけての検査なので、採血検査の結果待ちで絶食という日が数日続きました。空腹を訴える娘に「もう少しだから、がまんしようね」と声をかけると、声を出さずに涙ぐんでいる姿を見て、私も辛く涙が止まらなくなりました。大きな手術を乗り越え、やっと元気になったと思っていた時期だっただけに、どん底までつき落とされた気持ちでした。この時、「移植」という治療で、すべてが良くなって、健康な状態に近くなるというわけではないことに改めて気づかされ、これから退院しても拒絶と感染を常に気にして生活していかなければならないんだと気が重くなりました。
娘のこれからのことを考えると心配は尽きませんが、信大で移植を受けて良かったと思えるのは、勿論、先生方を始め看護婦さんや医療スタッフの方々に支えられてきたことが一番ですが、同じように移植を受けた患者さんや家族の方々と励まし合いながら入院生活をおくることができたことが、娘だけではなく、私にとっても大きな支えとなりました。 正直な気持ちでは、まだ移植して良かったと思うまでにはなっていませんが、一年一年と娘が成長していく姿を見ていくことで、そう思えるようになるのではないかと今は思っています。
退院時記録 (母代筆) より –
入院 2001年5月7日
退院 2001年5月29日
3歳女児
ドナー | 母親 |
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疾患 | アラジ-ル症候群 |
何から書いていいのか悩みますが…。とにかくここに来られて本当によかったと思っています。先生方はていねいだし、看護婦さん方もやさしくて親切で、すごーく温かさを感じました。
初めは不安で不安で、これからどうなるのだろーと考える毎日でしたが、そんな不安さえやわらげて頂いたようにも思えます。
おかげで病気(体)だけでなく気持ち(心)も治して頂いたみたいです。 これからも大変な事がたくさんあると思いますが親子一緒にがんばります。
本当にいろいろありがとうございました。
心より感謝しています。
– 退院時記録記録より –